ゼミ生がゼミ生にインタビューする企画『ゼミ内Lavita』。ぜひお読みください!

池本 英里香さんの場合 IKEMOTO Erika

【池本さんとは】

木原ゼミ7期生・池本英里香さん(20歳)は広島県出身の大学2回生だ。現在は京都で一人暮らしをしている。誕生日は8月25日、好きなものはトマト(特にスイートトマト)で大学に入学するまでの19年間、毎日欠かさず食べていたそうだ。広島県出身といっても、彼女はお父さんの転勤の都合で広島、香川、岡山、和歌山、再び岡山、現在の京都と様々な土地を経て育ってきている。5県を転々としてきた池本さんは都会過ぎず田舎過ぎない岡山県が1番好きだそうだ。また大きなイオンがあることも池本さんが岡山県を気に入っている理由である。家族構成はお父さん、お母さん、柴犬の小豆くん(5才)の4人暮らしであり、1人っ子だ。そのため、小豆くんを弟のように可愛がっている。ちなみに、小豆くんは犬家系である池本さんの祖母がスーパーの貼り紙から引き取った柴犬であり、池本さんが中学三年生の時にやってきたそうだ。

 

 

【気にしいから部長へ、池本さんの成長】

 和歌山県で幼少期を過ごした池本さん。幼い頃の彼女はかなり気にしいな性格だった。保育園ではねんどのにおいが嫌でずっと手を洗っていたそうで、どろだんごや砂場は忌避。しかし、岡山県の宮前小学校に入学し高学年になると、低学年の子とのペア研修で砂遊びをする必要があり、砂場を克服し気にしいな性格はある程度緩まった。

 宮前小学校卒業と同時に池本さんは岡山県に移り、岡山市立桑田中学校に入学した。部活は吹奏楽部に入り、クラリネットを担当した。入学当初、池本さんは友達づくりの焦燥感に駆られ辛かったそうだ。転勤で引っ越してきた自分を除く、小学校からの友達のグループが既にできており、新しい環境に池本さんは馴染めずにいた。しかし、徐々に親しい友達グループもでき、学校帰りに近くのイオンに寄って映画を見たりと遊びと部活の充実した中学校生活を送った。

 中学校を卒業し、池本さんは岡山県の高校・就実高校に入学した。彼女はまず中学の時と同様に吹奏楽部に入部した。しかし、就実高校は吹奏楽部の強豪校。池本さんはしんどくなり吹奏楽を辞めた。その代わりに彼女は写真部に入部した。この入部が、池本さんの後の人生の選択に大きく活きてくるのである。彼女にとって写真を撮ること、撮りあうことは楽しいものであった。そして、三年生時には写真部の部長になった。その実力は学内コンテストに選ばれるほどのものであり確かである。池本さんは部長をする中で、『メリハリ』を心がけていた。また、池本さんは部長を務めるうちに、多くの人から言われた意見を1つに偏って決めるのではなく、ふわっとまとめ上げる力を身に付けた。そんな池本さんが部長を務める写真部は、就実高校の文化祭で脚光を浴びることとなった。文化祭で写真部はフォトブースや写真を撮るサービスを行った。これが大盛況となり、千~2千枚の写真が売れ、かなりの額を売り上げたそうだ。多くの写真を撮ってきた池本さんが1番気に入っている写真がある。それはクラスで人々がふつうにおしゃべりをしている一枚である。池本さんはこのように述べていた。『一見、この写真は何気ない光景に聞こえるかもしれない。しかし、コロナ世代である私たちにとってこの光景は当たり前ではなく、『教室』というものを一番実感できるためこの写真を1番気にいっている』と。

 受験シーズンに入り、池本さんは写真部での経験が大学受験に活きてくる。写真部での実績や活動が認められ、池本さんは「次世代リーダーシップ選抜」の受験制度を活用し京都産業大学を受験した。また、AO入試制度を使い関西大学や甲南大学も受験した。関西大学は落ちてしまったが、京都産業大学、甲南大学の両方に合格し、彼女は京都産業大学の現代社会学部に入学することを選択した。彼女が現代社会学部を希望した理由は、やりたいことがまだ明確に決まっていない中で、幅広い学問を学ぶことができる社会学が自分自身に合っていると感じたからだ。

 

 

【大学生活 現在の池本さんと将来の目標】

 池本さんにとって大学生活は楽しくはあるが、とても楽しいものではない。休日にはよく睡眠をとり、好きな動画を見ることができている。学校も友達やゼミのメンバーなどいろいろな人と出会うことができ充実はしている。しかし、ゼミという新しい環境や常に『就活』の文字が頭に浮かび多くの不安があるため大学生活がとても楽しいものではないと池本さんは述べていた。

 池本さんは健康でいることを目標としている。健康でなければ何もできないと池本さんは述べ、夢である情報誌の編集者を日々目指している。

 

取材:椙村萌恵 石田翔星/執筆:石田翔星


石田 翔星さんの場合 ISHIDA Sora

2004年福井県大野市生まれ。翔星という名前には空に広がる星のように自由に羽ばたいてほしいという思いが込められている。福井県の有終東小学校、開成中学校、大野高校を卒業し、現在は京都産業大学の学生として京都で一人暮らしをしている。

 

 

【変化のあった中学時代】

小学生のころの自分を一言で表すと“クソガキ”だったと石田さんは振り返る。平気で人のものを取り言葉遣いも荒かったそう。学内では学級委員長に立候補するなど活発な少年だった。しかし、中学一年生の時女の子に失言をしたことがきっかけで周りから距離を置かれることに。これを機に性格が180度変わり、今の石田さんの根底には思いやり、やさしさがある。

 

 

【スポーツマン】

小学2年生から中学三年生までバスケットボールをしていた石田さん。小学5年生あたりからバスケをしていた父からのプレッシャーやチーム内での人間関係の影響でバスケットボールが嫌いになり、団体競技に抵抗を持つようになった。高校ではスキー部に入部。夏は陸上トレーニング三昧の日々を送り、冬になると北海道まで練習に行くなど忙しく活動していた。北海道遠征は長期休みに限らず校欠を利用して行っていたためテスト期間はとても大変だったそう。しかし、日ごろから少しずつ消化したり、同じ部活の友達と協力したりときちんと両立できていた。雪がよく降り、きれいなところが地元自慢な石井さんにとってスキーをしている時間は魅力的でただただ楽しかった思い出の時間となっている。

 

 

【大学生になった今】

古典の勉強をしたく、志望校を受験したが不合格という結果になり滑り止めに受けていた愛知の学校への進学を考えたがもう少し上を目指せないかと思い京都産業大学を受験、入学することに。実際に京都産業大学に入った感想は「ごぶごぶ」。立地が悪いとネガティブな感想に対し二年生になり地域社会という専門科目ができて自分の学びたいことが明確になってきたという感覚に楽しさを感じていた。人と話すことが好きな石田さんは人と人との繋がりに魅力を感じ木原ゼミに入った。また、昔から情報誌“じゃらん”を読むのが好きだった石田さんはLa Vitaプロジェクトを通して将来のキャリアに繋げたいと考えている。休みの日にはジム、アルバイト、趣味と充実したプライベートを過ごしている。その行動力の原点は時間を無駄にしないという大学生活の目標があるからだ。アルバイトは、和食のお店と祇園のバーを掛け持ちしている。どちらも丁寧なマナーが身につく良い経験をさせてもらっていると環境に感謝をしていた。趣味はお茶を飲むこと。茶葉を買いに「7tea+」というお店に一人でよく行くそうだ。店員さんとは近況報告など雑談交じりの会話をする仲に。このお店に通っていた帰りに今のアルバイト先になる和食のお店の求人を見つけ働くことに。祇園のバーは友人の紹介で働くようになり、祇園のお店のオーナーは和食のお店の常連だった、と、すべてがつながった瞬間だった。石田さんはこれからについて「グレーの部分を作りたい」と語っていた。人間関係や物事の捉え方など柔軟に考える力を身につけたいと日々、経験や学びを得ている。

 

取材:池本恵里香 椙村萌恵/執筆:椙村萌恵


小田 容子さんの場合 ODA Yoko

広島県尾道市出身。2004年11月24日生まれ。メディア社会学コース。漫画やアニメが好きでコース選択した。好きな漫画は「約束のネバーランド」、好きなアニメは「進撃の巨人」、「ブルーロック」、「ヴァイオレットエヴァーガーデン」。趣味はカラオケ、京都でラーメン巡り、コラージュ作り、コスメ、読書。絵を描くこと、音楽を聴くことなど多趣味。

 

 

【働き方模索中】

京都産業大学現代社会学部を選択した経緯として、もともと社会学(ジェンダーや社会問題)に興味があり、広島で大学を探したが、社会学部のような気になる学部のある大学がなかった。そこで県外に範囲を広げて大学を探していたところ、姉が京都産業大学に通っており、そこで社会学系の学部があることを知って、京都産業大学を選択した。また、地元が田舎であるため、県外に出て一人暮らしして自立した生活を送ってみたいと感じていた。幅広い学問分野を学んで、将来の幅を狭めたくないという考えがあった。将来就きたい職業はまだ決まっておらず、自分の好きなことをしようか、それとも、現実を考えて公務員のような職に就いて、安定した生活を送るのか葛藤している。というのも、小田さんの親御さんが公務員で「将来やりたいことがまだ決まってないんだったら、公務員どう?」とアドバイスを受け、公務員も視野に入れている。木原ゼミを選んだのも、自分のキャリアについて真剣に考え、将来、公務員も視野に入れていることから、地域に携わることができる点に魅力を感じている。また地域のために取り組むことが具体的かつ実践的で、自分自身が成長できると感じたこと、オープンゼミに行った際、先輩方の雰囲気や先生の人柄に惹かれたのが決め手。

大学の授業以外には秘書の講座やMOS講座を受講している。マイクロソフトなどの学習をして、パソコンのスキルアップに励み、将来を見据え、今の段階から選択肢の幅を広げる努力をしている。

 

 

【部活動】

中学時代は吹奏楽部に所属しており、先輩の推薦で部長を務めた。約30人の部員をまとめていくのが大変だった。部員同士の人間関係があまり良くなく、みんなのモチベーションがばらばらで、練習にならないこともあった。この人間関係の状態を先生は知らず、また小田さんは副部長などに相談しようとするも、あきらめモードになっていて、相談できる相手がいなかった。この経験から、人の考えはそう簡単に変えることはできないから、ある程度のあきらめも必要である、と学んだ。

 高校時代はバドミントン部に入部したが、小田さんが想像していたイメージと違ったことやもっと自分に合った部活を探してみたいと思ったため途中から華道部に入部した。バドミントン部とはうって変わって、落ち着いた雰囲気で伝統文化に触れたり、所作や礼儀を学んだりするのが小田さんにとってぴったりな環境で、最適な居場所だった。

 

 

【人生観】

小さいころは活発でアクティブに遊ぶことが好きだった、と振り返る。今も友達と遊ぶことはもちろん楽しいけど、毎日ずっと一緒にいて遊ぶのは気を使ってしまい疲れる。だから1人の時間も好き。1人の時間も好きってなったきっかけは、1人の時間があることで、何かに没頭でき、自分のことをもっと知れる機会が作れることに気づいたから。おうち時間は読書や音楽を聴いたり、絵を描いたり、またカラオケに行ったりすることに幸せを感じている。友達といる時間ももちろん好きだが、一人の時間を過ごすことも大事にしたい。

インタビューの最後に生きていくうえで大事にしている価値観について触れた。人と関わる中で、「親しき仲にも礼儀あり」を心がけるようにしており、「相手のここまでなら踏み込んでいい」のような線引きや常識の範囲を意識している、と語る。

小田さんにインタビューをしている際、謙虚な人柄がにじみ出ていた。価値観や自分の生き方の軸がしっかりしている印象があり、物事を現実的に捉えているのが垣間見えた。

 

取材・執筆:鮫島 愛弥 國近英嗣 


北岡 春奈さんの場合 KITAOKA Haruna

【大学入学前について】

彼女は、2004年5月10日生まれ、出身は京都市中京区でB型の左利きである。京都市立高倉小学校、京都市立京都御池中学校、花園高等学校を卒業し、京都産業大学に入学した。中学時代はバスケットボール部に入っていたが、高校では、帰宅部エースだったらしい。バスケットボール部に入部しなかった理由は、コロナ禍で部活見学を十分に行えなかったからである。

なぜ、京都産業大学の現代社会学部を選んだのか。彼女は、はじめ指定校推薦で関関同立(関西、関西学院、同志社、立命館)を受けようか悩んだ。特に立命館大学の総合心理学部に興味があった。しかし、通っていた高校に行きたい大学の指定校推薦はなかった。そこで、受験を早く終わらせたい理由で公募推薦を受験することにした。だが立命館大学には公募推薦での受験方式はない。そこで、他を探し、オープンキャンパスなどに行き、京都産業大学の現代社会学部を公募推薦で受験することに決めた。無事公募推薦で合格した後は、通っていた塾でバイトをしたり、自動車の免許をとったり、時間を有効的に活用し、充実した生活を送った。

 

 

【興味あること・好きなこと】

彼女は、心理学に興味があるという。実際、立命館大学の総合心理学部に進学しようと考えていた。京都産業大学に入ってからも興味はあるため、心理学に近いことが学べそうな理由で現代社会学科の人間社会コースを選んだ。

趣味は、雑貨を集めることだ。京都にあるアメリカ系の雑貨屋で1個150円のピンバッチを買ったり、福岡でアルミのサインプレートを買ったりする。木製クラフトなどをつくるのも好きで、雑貨やポスターなどで部屋のなかを充実させたいらしい。指先だけを使うのは得意だが道具を使うのは苦手。あと絵をかくことも苦手だ。

 好きなものを聞いて真っ先に出てきたのが犬。茶、白、黒色が混ざったビーグルを飼っている。スヌーピーと同じ犬種だ。好きなアーティストはSHISHAMO。ちなみに魚のししゃもも好きだそう。

 

 

【将来について】

このゼミに入った理由は、大学生活で何かやり遂げたことが欲しいからだ。そのとき、個人で何かに取り組むよりグループで何かやり遂げる方が大学生らしいと考えた。将来、公務員になることを考えたり、父が人口1000人もいないような島で育ったことをゼミ活動とつなげて考えたりした結果、木原ゼミに入ることを決めた。

将来やりたいことは、イベント会社など、アクティブな仕事。パソコンと向き合う事務作業はやりたくない。営業とかで体を動かして回れる仕事がいいそうだ。

 

 

【印象に残った回答】

 インタビューをして、私の印象に残った回答が2つある。

1つ目は、「今までで1番楽しかった経験は?」という質問に対する回答。この質問に「友達と喋って、夜更かしする何気ない日常」だと答えた彼女。「特別じゃなくて全然いい」の言葉に彼女の人間性が出ていると思った。

2つ目は、「尊敬している人はいるか?」の回答。彼女は、一回しか会ったことがないが、花園高等学校、外部講師の並木将央さんを尊敬する。

この方は、The Japan Times の「次世代を担う100人のCEOアジア2014」に選ばれたコンサルタントである。彼を尊敬する理由は、時間を効率的に使い、人のために尽くせる人だからだ。そう感じたのは、質問の時間を「相手の利益を思って設ける時間、自分が発信したらお互いに刺激がある」と言っていたことから。堅そうな見た目だけど「あなたたちが学ぶことが素晴らしい」という価値観に、こういう大人がいるのだと初めて知ったと言う。

 

取材・執筆:中村恵菜


木村 諒佑さんの場合 KIMURA Ryosuke

【プロフィール】

2004年8月10日に大阪府東大阪市で生まれた。生まれてから小学校時代までを大阪で過ごす。その後、父の仕事の都合により岡山県岡山市に引っ越した。それから高校時代までを岡山で過ごした。2023年に京都産業大学現代社会学部現代社会学科に入学。

~夢中なこと~

実は、木村さんには非常に興味深い趣味がある。それはラップである。元々はビートを聞くことが好きであらゆるビートをYouTubeで調べては保存することを繰り返していた。それから音を聞くだけではなく歌詞について興味を持ち始めた。この音に歌詞をつければもっと良くなるのではないかと思った事がきっかけでラップに熱中するようになった。今では、即興ラップができるほどの腕前に上達し、何度か岡山でイベントに出演したこともある。

 

 

【ゼミの志望理由】

大学では現代社会学科地域コースに所属しているため地域に関する事に興味があった。木原ゼミが主な活動としている徳島県牟岐町が身近な町だったことが1番の理由だ。木村さんの父は徳島県牟岐町の出身で祖母は現在も牟岐町に住んでいる。ゼミ選びをしている際に自分にとって身近な町について取り扱っているゼミがあることに興味を持ち、適任だと思い志望した。両親や祖母に牟岐町を取り扱っているゼミがあることを紹介すると非常に喜んでくれたこともゼミ選びに影響を与えた。牟岐町に関して林業や農業が盛んであること人との繋がりを大事にしていることは知っていたが、身近な町であるからこそもっと深く知りたいと思った事も理由の1つである。

 

 

【離れて暮らす家族への想い】

ゼミの志望理由から少し推測できるかもしれないが木村さんには非常に家族想いな一面がある。木村さんには高校生の妹が一人いる。木村君が、私立大学に入学したため妹は国公立の大学に進学するよう両親から言われていることを知り、自分が国公立に進学できなかったからだと責任を感じている。妹想いな優しい兄である。大学進学の際は成績に関して母親とよくけんかをしたこともあった。しかし、今では何不自由なく大学に通わせてくれていることに感謝するばかりだ。母は自分の事を理解した上で叱ってくれること、理不尽なことは言わないという理由から母の言うことは必ず聞くという素直な一面もある。

 

 

【好きを活かす】

将来は交通関係の仕事に就くという夢がある。幼い頃から道を覚えることが好きで新しい道路や高速道路、電車ができるとすぐに気がつく。日頃から地下鉄が混んでいるから路面電車を通すと良い、バイパスを作れば渋滞が改善できるなど交通の事に関してよく考えている。交通について考えることが日常生活の一部となっている木村さんにとって好きなことを将来に活かしたいと思い具体的な構想もある。それは、魅力のある田舎町の荒廃を防ぐためにSNSを駆使してPR活動を行い、道路や鉄道路線を繋ぐことだ。

 

取材・執筆 北岡春奈、中村恵菜


國近 英嗣さんの場合 KUNICHIKA Eiji

【地元 和気町を何とかしたい】

國近さんは、岡山県の和気町という人口約13000人ののどかな町で生まれ育った。

自然豊かで人が優しい地元が大好きだと語る國近さんは、お世話になった地域に恩返しがしたい、地元に貢献したいという思いから公務員を目指している。

きっかけは、和気町が消滅可能性都市(人口減少や人口流出、少子高齢化によって2024年までに消滅の可能性がある自治体)に指定されていることを知ったことだ。

元々何かしらの形で将来地域に関わりたいと考えていた國近さんは、高校では2年生から始まる課外活動授業の一環として岡山の地域課題について考える「歴史・地理探求ゼミ」に所属した。この活動の中で、ある地域について現状や課題を見つけ地域の未来をより良くする政策アイデアを提案する「地域創生アイデアコンテスト」に応募し見事賞を受賞されたそうだ。その活動の中で、高齢化率や空き家率などの現状を知りその深刻さに気づいた。そして、自分の地元が消滅可能性都市に指定されていることも知ったのだ。

大好きな地元が無くなったり、他の地域と合併してしまったりする可能性があることを知った國近さんは、「自分が地元を何とかしなければ」という危機感に駆られ、直接地域に関われる行政の職員である公務員を目指すようになった。

大学では現代社会学科の地域社会コースを選択し、公務員講座を受講しながら着実に目標に向かって進んでいる。

 

 

【國近さんが描く地元の未来像】

岡山県に行ってみたい、また行きたい、さらには住みたいと思ってくれる人を増やして都道府県魅力度ランキングトップ20位入りを果たしたいそうだ。また、若者が地元に関心を持ち、地域活性化を目指す人や、地元に貢献したいと思う人が増えてほしいと語る。そのため、公務員になったら月に1回マルシェのようなイベントを開催するなどし、関係人口を増やして町を盛り上げられる取り組みをしたいという。

 

 

【頑張った分、しっかり息抜きも】

大学で頑張っていることを聞くと、健康のため1か月間毎日1日1万歩を目指して歩いたり、通学はバスを使わずあえて自転車で通ったりとストイックな面も知れた。学業でも全科目「優」以上をとれるよう志高く励んでいる。

多趣味な國近さんは息抜きもばっちりである。散歩をしたり旅行をしたりするのが好きで、行く先々で撮った写真をInstagramにアップすることを楽しんでいるそうだ。國近さんの投稿を見ると、趣味の領域を超えるレベルのたくさんの美しい風景写真が並んでいた。

また、食べることが好きで、グルメ情報には常にアンテナを張っているそうだ。大好きな地元に帰省すると毎回、ついつい2kgほど増量してしまうそう。

 

【相手ファーストを心がける】

この言葉は國近さんが生きる上で大切にしていることである。これは、人のためになりたい、喜ばせたい、という気持ちを強く持っている國近さんだからこそ出てくる言葉だ。先に述べた地元への熱い思いや将来の展望からもわかる通り、知れば知るほど自分の芯をしっかり持っている。その芯の強さの中に周囲を思いやる繊細な利他の心を持ち合わせているのだ。

今回の取材を通し國近英嗣さんとは、自分軸である芯の強さと人を包み込む優しさを併せ持つ人物であることがはっきりと伝わってきた。

 

取材・執筆:鮫島 愛弥、小田 容子


鮫島 愛弥さんの場合 SAMESHIMA Manami

【「さめちゃん」ってどんな人?】

木原ゼミ7期生「さめちゃん」こと鮫島愛弥さんに自身のことでインタビューした。鮫島愛弥さんは大阪府出身で誕生日は4/27である。京都産業大学に通う大学2年生であり、mbti性格診断はENFJだ。幼少期は、今の自分と比べるとかなり鈍くさかったと言う。かけっこでは最下位であっても気にせず笑顔で全力で走っていたんだと鮫島さんは話してくれた。小学生になると、鮫島さんはテニスをしていたお兄さんと一緒にテニスを始める。習い事にも通い始め、水泳、バスケ、新体操などたくさんスポーツに取り組んでいた。中学生になるとテニス部に入りたかったが、中学校にテニス部がなくて水泳部に所属しながら外部でテニスをしていた。当時はどうしてもテニスがしたくて、学校にテニス部を作ろうとしていたと言う。高校生になるとやりたかったテニス部に所属し、全力でテニスを楽しんだ。鮫島さんは、何か体を動かすことや、スポーツをしないと落ち着かないと感じた。そして、大学生になると鮫島さんはテニスサークルに所属する。アクティブな性格の鮫島さんであるが、休日の日はバイトをしたり、神社やグルメを巡ったりしている。イチジクが大好きで最近ではイチジクスイーツのお店を探している。

 

 

【京都産業大学を選んだ理由】

 そんな鮫島さんであるが京都産業大学に入学した理由について聞いてみた。鮫島さんは進路を決める時、元々動物と関わる専門学校に進学しようと思っていた。しかし実際の学校のイメージに違いがあったことや、テレビで色んなニュースが絶えず流れているところを見て、どんな複雑な背景があって、社会の仕組みの何が変われば解決できるのかを知りたくて京都産業大学の現代社会学部に決めた。

 鮫島さんが現在大学で頑張っていることは、サークルである。京都産業大学のテニスサークルに所属し副会長を任されており、自分でみんなが楽しめる企画を考えている。リーダーになりみんなを引っ張っていくことは大学に限らず中学、高校でも積極的に立候補したと話す。鮫島さんは、どういう立ち位置でみんなを支えることができるのかを考えている。その行動力の根源は鮫島さんの小学校での経験や自身のロールモデルだった。鮫島さんは小学生の時、クラスという小さな社会を経験する中で学校を楽しんでいる人とそうでない人の差を感じ、皆が楽しめて仲良くできるような雰囲気を自分がつくればいいのではと思うようになった。「人と話すことが好きだし、周りで浮いている人が出ないように自分から話しかけたり、視野を広げたり空間づくりをしたい。孤独にさせたくない。私のロールモデルは明るくてポジティブな人だから人と話す時は笑顔でいるよ」と鮫島さんは話す。

 

 

【将来やってみたいことは?】

鮫島さんが将来どんなことをしたいのか、またその理由について聞いてみた。鮫島さんは、人と関わることが好きだから将来は人と関わる仕事をしてみたいと考えている。具体的にやりたいことはまだ決まっていないが、困難を抱える人を支援することや、その人を支える家族など周りの人に寄り添える仕事に魅力を感じている。その理由は、精神疾患や障がいを持つ人がクローズアップされることは多いけれど、その人をケアする家族が抱える問題は隠れがち。だから、当事者だけでなく家族に対しても寄り添える存在というのは必要だと思う。また、それを身近に感じる機会が多かったからだと言った。

 

取材・執筆:小田容子


上馬 大知さんの場合 JOBA Daichi

【勉強にも野球にも打ち込んだ!中・高校生時代】

上馬大知(じょうばだいち)さん。2004年生まれ。滋賀県大津市出身。

幼稚園・小学校ともに地元の学校に通っていた上馬さん。幼い頃から人見知りであったが、幼稚園では姉の知り合いと友達になり、その友達との関係は今でも続いているなど人とのつながりを大切にする一面がある。中学生時代は、友人に誘われて所属した野球部よりも勉強に力を入れていた。中学生から塾に通い成績が良かった上馬さんだが、高校受験は、より受かる確率が高い学校を受験した。上馬さんの安定志向は彼の将来の夢にも現れている。中学生のころから人体に興味があった上馬さんは、現在トレーナーの仕事をしている姉の影響もあり、高校に進学した時は薬剤師か理学療法士になりたいと考えていた。しかし、高校では部活一筋だったことや、将来は安定した職業に就きたいといった思いから現在は地元・滋賀県で公務員の職に就くことを目指している。どの職業にも共通するのは「人を助けたい」という思いである。薬剤師や理学療法士は身体的に人を助けることができ、公務員は生活に困っている人を間接的に助けることができる。もちろん安定を求めることは悪いことではないが、上馬さんは、これからはチャレンジ精神を持って行動したいという気持ちもあるそうだ。高校生時代は部活動に打ち込んだ。中学に引き続き所属した野球部は中学よりも厳しかったが、そこではメンタルが鍛えられて自分に厳しくなれたという。しかし、部活動に打ち込んでいたことで成績が落ちてしまい、部活を引退後今までで一番勉強を頑張るも第一志望校に合格できなかった。そして2023年、京都産業大学現代社会学部健康スポーツ社会学科に入学した。

 

 

【人脈を広げたい!大学生活】

上馬さんにとって大学は転機の時期であった。人間関係は狭く深く築いてきた上馬さんだが、人脈を広げていきたいという思いをもっている。人見知りでなかなか自分から話しかけることはないそうだが、大学に入ってからは授業で出会った友達や、友達の友達と仲良くなるなどして順調に人脈を広げている。木原ゼミに入ったのも、人と関わる機会を増やしたいからという理由からである。大学に入りコミュニティを広げている上馬さんだが、楽しければ何でもよいということではない。彼の軸となっているのは「線引きができること」である。上馬さんは自分からも周りの人からも真面目と評価される性格で、「ルールや規則は守りたいし、してはいけないことをしている人には注意できる大人になっていきたい。」と話している。こうした堅実な一面が、上馬さんの人間関係を長続きさせている秘訣の1つなのかもしれない。上馬さんにインタビューを行う中で、上馬さんは自分の軸をブレずに持ち、行動できる人であることがみえてきた。これからの大学生活は、その自分軸は大切にしながらも今まで以上にいろんな人との関りを広げていくのだろう。 

取材・執筆者:中野真緒


椙村 萌恵さんの場合 SUGIMURA Moe

【椙村萌恵さんについて】

椙村さんは、京都出身で現在は京都産業大学の現代社会学部、現代社会学科に通っている。誕生日は、9月4日。家族構成は、父、母、兄、椙村さんの4人と愛犬であるミニチュアダックスフンドのウィルくんである。最近の、嬉しかったことは、韓国アイドルが集うライブ「2024 MAMA AWARDS」に当選し行くこと。最近悲しかったことは、バイト先で好きだったジャガイモとベーコンとチーズが入ったパンが販売しなくなったことである。

幼少期の椙村さん。

幼少期を振り返ると、「めちゃくちゃ恥ずかしがり屋さんでした」と語った椙村さん。椙村さんは幼稚園の頃、背の順で一番前になることが多かった。運動会のプラカードを持つのに選ばれたり、代表で1人だけやってみようと先生に呼ばれたりすることがよくあったそうだが、泣いて全部拒否していたそうだ。そんな椙村さんだが、小学生、中学生以降は、学級員長を務めたり、学習発表会ではだしのゲンのゲン役を演じたりするなど、活発に活動する一面を見せていた。恥ずかしがり屋からの脱却については、特にきっかけはなく成長につれて自然にそうなったようだ。

パン屋さんでのバイトの日々

大学生になって、北山にあるパン屋さん「マリーフランス 北山店」でバイトを始めた。可愛いお店で働きたいと考えて、ケーキ屋さんとパン屋さんの2択で迷ったそうだ。最終的には、ケーキよりパンの方が無限に食べれるという理由でパン屋さんで働くことを決意した。働いて2年目のパン屋さん、お昼の時間はお客さんでいっぱいで対応に追われることもあり忙しいが、忙しさは慣れると程よい忙しさに変化。今では、楽しく仕事をこなしている。

 

【挫折もあった高校時代から大学生の今】

中学で吹奏楽部に入った。高校は、京都産業大学付属高等学校に進学。高校を選んだ理由は、吹奏楽部だそう。先輩が、京都産業大学付属高等学校の吹奏楽部に所属していて、その影響で高校を決めたという。中学、高校で吹奏楽部に入りアルトサックスを吹いていた。しかし、高校生になって部活を辞めることを決心。神経質な部分影響したのか、学校に行けなくなったこともあったそうだ。周りに支えられて、今があるという。大学進学後は、吹奏楽部とは距離を置こうと考え所属はしなかった。様々な学部がある中で、現代社会学部を選択した理由は、フィーリング。これがやりたいといことがあまりなかったため、幅広く学べる学問である現代社会学部が自身に合っているそうだ。

 

 

【木原ゼミに入った理由とこれからの展望】

木原ゼミに入った理由は、自分の強みを見つけて大学生活で頑張ったと言えることを探すためだという。ゼミに力を借りて、色々な所に一歩踏み出して、何でも挑戦できるようになっていきたいと語った。また、将来については、どのような仕事に就くか考え中である。しかし、ストレスなくのびのび生活していきたいとう気持ちがあるそうだ。今は、自分の理想に近い仕事を見つける為の努力をすると語った。

 

 

【椙村さんにインタビューしてみて】

 私が、椙村さんにインタビューして印象に残ったのは、幼少期の恥ずかしがり屋期である。私が最初に椙村さんに抱いた印象は、明るく社交的であった為だ。ゼミに入って真っ先に声をかけてくれた。そんな彼女がプラカードを持つことを泣いて拒否している姿が想像つかない。インタビューをしたからこそ知りえた発見だと感じた。また、椙村さんのインタビューの中で「フィーリンク」という言葉が出たことにも印象深かった。椙村さんが不安はありつつも、楽しそうに学生生活を語る姿を見て、彼女のフィーリングは正しかったのだなと感じた。

取材:石田翔星 池本英里香/執筆:池本英里香


中野 真緒さんの場合 NAKANO Mao

【プロフィールと現在までの大学生活】

2005年滋賀県大津市生まれ。京都産業大学現代社会学部現代社会学科在学中。滋賀県内の高校を卒業した後、将来に幅広く活かせる学問を学びたい思いと家から少し離れた大学に行きたい思いがあり、近隣の大学には行かず京都産業大学現代社会学部に入学した。現在中野さんはサークルに入っておらず、人間関係を広げていくのに苦戦している。そうした中、新しい出会いが欲しいという気持ちがあり木原ゼミを選んだ。中野さんは第一印象では優しそう、親しみやすそうと思われるが、実は人見知りといった性格である。大学に入学後はコミュニケーション能力を向上させたい思いがあり、中野さん自身から笑顔で話しかけることが多くなった。そうした意識や行動の変化もあり、以前までは無言で気まずくなってしまうといった理由で苦手であった二人きりの空間でのコミュニケーションであっても無理に話さず、そうした無言の時間も存在すると受け入れることができたことで克服することができた。また大学生活に奮闘する傍らアルバイトにも励んでいる。現在はパン屋の雰囲気が好きという理由もあり、パン屋でアルバイトをしている。

 

 

【幼少期から高校生活まで】

中野さんは、幼少期から人見知りでおとなしい性格であった。そうした性格でありながらも水泳や書き方教室、ピアノ、ガールスカウト、アトリエと様々な習い事を経験してきた。当初はやらされていた習い事も、今では役立つスキルとなっている。なかでも中野さん自身がやりたいと思い始めた書き方教室で身につけたスキルは、今でも自信を持つことができるものとなっている。地元の中学に入学後は吹奏楽部に入部した。吹奏楽部ではクラリネットの音色が好きといった理由からクラリネットを演奏していた。クラリネット以外を演奏するのならば、中野さんが自信を持っている字を書くスキルを活かすことができる書道部に入ってもいいという気持ちもあった。しかし吹奏楽部では中野さんの希望通り好きな楽器を演奏することができ、楽しく活動することができた。高校は学祭や楽しい学生生活を送りたいという気持ちが中野さんのなかにあり、地元で人気の高校に入学した。高校でも吹奏楽部に引き続き入部し、クラリネットを演奏していた。しかし高校生活はコロナの影響もあり、中野さんが想像していた理想の高校生活を送るのが難しかった。しかしそうした環境でも中野さんは満足できる高校生活を送ることができた。

 

 

【今後について】

中野さんは、残りの大学生活ではたくさんの思い出が欲しいと思っている。中野さんはサークルに入っていないため、今のところこれといった思い出がなく、これからの2年間で出来るだけたくさんの思い出を作りたいと考えている。また大学卒業後の中野さんの具体的な将来の夢は決まっていないが、たくさんの人と関わることができ、やりがいのある仕事につけたらいいと考えている。中学や高校の時に中野さんは、看護師や警察官になりたいといった夢があったが、体力に自信がないため現在は別の目標を探している。また、中野さんは飽きるのが早いといった性格であるので、転職や海外勤務の可能性がある仕事のほうがあっていると考えている。中野さんは、今後木原ゼミで活動していく中でたくさんの人と関わり自分自身を成長させたいと考えている。

取材・執筆:上馬大知


中村 恵奈さんの場合 NAKAMURA Keina

【プロフィール】

2004年4月25日に和歌山県湯浅町に生まれる。生まれてから高校卒業まで和歌山県で過ごしていたが2023年に京都産業大学に入学してから京都に住み始めた。県内県外の数ある大学の中でなぜ京都産業大学という大学を選んだのか。 

 

 

【大学、学部、ゼミを選んだ理由】 

なんと彼女は元々大学に行くつもりはなかったようなのだ。しかし高校を卒業したばかりでいきなり仕事は精神的にも身体的にも厳しいと感じたため、大学でやりたいことを見つけてから就職しようと考えた。そこで関西圏内で大学が多いイメージがある京都を進学先に決めた。そこでなぜ京都産業大学を選んだのかという事であるが、彼女は受験を早く終わらせたかった。そこで公募推薦はなんと11月に受験が終わるらしいのである。そこで彼女は公募推薦でこの大学を受験した。彼女はなぜ現代社会学部を進学先に選んだのか、それは脇浜先生のゼミが中継をしていてメディアのことについて興味を持ち、学びたいと思ったからだ。しかしそのゼミでは自分のやりたいこととは少し違うと感じたことや将来は地元に帰って仕事したいという気持ちから地域と交流する、さらに人見知りな自分の性格を治すという意図もあり、人との繋がりを大切にする木原先生のゼミに入ったのである。公務員にも興味があったらしいのだが大学を卒業したら公務員になると決めてしまうと他の選択肢の幅を狭めてしまうためゼミなどを活用し大学でやりたいことを見つけていきたいと語っている。彼女は都会過ぎず住みづらいほど田舎でもない地元の和歌山を愛しているため、とりあえず大学を卒業したら地元に帰りたいと思っている。 

 

 

【生活について】

彼女はよさこいサークル「届出団体京炎そでふれ!咲産華」に在籍しており、週3で練習があることからかなり忙しいと語っている。そんな彼女が大事にしているテーマがあり、それは「暇より忙しく」である。家でダラダラするより予定が詰まっている方が充実していると考える彼女にとって活動頻度がサークルはぴったりではなかろうか。しかし忙しすぎるのも疲労が溜まるので休息は取りたいと言う。それゆえ、移動時間はなるべく短縮したいようでアルバイト先は家から1番近いお店にしたという。どんなお店であるかはプライバシーの関係で言えないみたいであるが主にレジ打ちをしているようだ。彼女は京都に引っ越して来てから初めてアルバイトをし、まだこのアルバイトは続いているみたいだ。飲食店のアルバイトに憧れているみたいであるが新しいことを始めるのは苦手なようで1度始めたことはなかなかやめられない性格だ。そんな彼女は自分のことを「面倒な人」と語る。壁に当たったりすると挫けて文句を垂れるがやると決めたことはやり遂げる我慢強い人間なのである。さらに人に頼られていたいタイプで人の期待に応えたいと語る彼女は旅行のパッキングや掃除が得意な主婦系女子なのでぜひ任せてみてはいかがだろうか。

取材・執筆 木村諒佑 北岡春菜